道立大沼公園の誕生

函樽鉄道の開通した明治36年、北海道議会は大沼の景観に着目し、これを北海道の公園として位置づけ、北海道の開発の一環とするとともに、国内外の観光客の遊覧場として発展させるべきであるとして、道長官に建議しました。
それを受けて、道は横山隆起参事官に対し、大沼の観光地としての将来性について調査させました。

昭和初期に作成された大沼鳥観図横山参事官は、地元の有力者の案内により大沼公園をつぶさに調査し、「大沼公園創設案」を起草し報告しました。
道はその案に基づき、大沼を道の大公園とする計面をたて、面積約48,779坪を公園予定地とするとともに、道路の開削など着点と開発を進めました。

その後、大正2年に道庁は、本多静六林学博士に大沼公園の設計を委嘱。同博士は実地に調査測量を行い「大沼公園設計案」(改良案)をたて、道議会へ提出しました。
以後、大沼公園の諸施策はこの改良案によって実施され、整備されていきました。

昭和6年に建てられた展望塔 戦争時、金属供出のため取り壊された大正10年(1921)10月、道の申請により政府は、公園とする目的のもとに使用することの許可を下しました。
その翌年、正式に道立大沼公園が誕生したのです。
大沼公園が道立公園として発足したのを機会に、道議会を中心とした有志によって「大沼保勝会」が旗揚げされました。この会の趣旨は、大沼の景勝を永遠に保存するとともに国内外に紹介し、大沼の発展を願って結成されたものです。
当時、北海道では数少ない公園の一つだった大沼公園を世界的な公園にまで高め、北海道開発の一つの拠点にしたいという強い意欲がみられ、大沼公園に寄せられた期待がひしひしと伝わってきます。
少しさかのぼりますが、大正4年(1915)に大沼は、耶馬渓や三保の松原とともに、「新日本三景」に入選しました。
昭和2年には大沼電鉄が開通し、同6年には公園施設の偉観である展望塔が、からかさ山に落成。地上23メートル、湖面から45メートル、大沼の全貌はもちろんのこと、遠く軍川方面までも望まれるほどでした。
こうして、大沼は一大観光地としての基盤を着々と築いでいくのです。

国立公園昇格ならず

昭和3年夏、大阪毎日新聞社主催の「日本新八景」の募集が行われたが、大沼は惜しくも選外となりました。これが国立公園選定にもつながることであっただけに、落胆一入というところでした。
昭和6年、内務省が国立公園指定のための選考に入ったとき、大沼は森、砂原、鹿部、臼尻、函館市にまたがる一帯として立候補し陳情書を提出しました。
しかし、そのままでは受け入れられず、代案として大沼を中心に登別、洞爺湖を併合した道南の大地域を候補地として再度の申請を行いましたが、結果的に大沼国立公園の夢は実現できませんでした。

この後、大沼公園は順調に発展を続けますが、戦乱に巻き込まれるのは大沼も例外ではありえず、多くの犠牲を払いながら終戦を迎えることとなります。

昭和30年ころの遊覧船乗り場戦争による荒廃に対する大沼の復興は速やかでした。
まず、湖水に浮かぶ島々間の橋梁の改修、公園広場にある売店の移動、大沼公園整備五ヵ年計画による空中観覧車ウォーターシュート設備、湖上遊覧のための橋梁の増設、公園広場の緑化などなど。
しかし、温泉掘削は至上命題でしたが、その挑戦は再三におよぶも悲願成らず現在にいたっています。
大沼の復興は各種施設設備面にとどまらず、「観光こそは今日の日本に残された唯一の資源である」を標榜しつつ、昭和24年5月13日、大沼観光協会が設立されました。
以後、大沼観光の舵取りに献身するのです。

大沼国定公園の誕生

昭和32年、各方面から大沼を国定公園に昇格させようという声が上がり、昇格運動が盛り上がり、道に要望書を提出しました。翌年7月、道立大沼公園は国定公園の指定を受け、大沼および駒ヶ岳は特別保護区域として国の管理下に入ることとなりました。
国定公園の昇格を祝う町民たち(36年)昭和36年、大沼ヘルスセンターが開業し、その年、大沼国定公園昇格記念切手が発売され、全国に大沼の名声は広まっていきました。 昭和40年、高松宮殿下をお迎えしてゴルフ場を開業、つづいて日暮山に車道、休憩所を新設、44年、南北海道青少年センター(ユートピア大沼)開業、同47年、簡易保険保養センター開業。

大沼観光協会は設立以来大沼観光のリーダーシップをとりながら独自の行催事を主催し、雪祭り、湖畔駅伝大会、湖水祭り、紅葉祭りなど、大沼観光発展の道筋をつけ、今年(平成18年現在)設立57周年を迎えます。
同時に大沼は、国によって国際交流拠点として指定され、七飯(大沼)の自然、文化、歴史、伝統芸能、産業などを世界に紹介することが義務づけられました。
大沼は、参加・体験型観光を積極的に准進する立場に立ち、この事業の推移は大沼国定公園の将来の発展に、おおいに関わってくることになるのです。

(資料提供:大沼観光協会)